東京高等裁判所 昭和40年(う)2499号 判決 1969年3月26日
主文
原判決中被告人島田理之に関する部分を破棄する。
被告人島田理之を無期懲役に処する。
被告人島田理之に関する控訴を除くその余の本件各控訴を棄却する。
被告人酒井幸雄および同田村隆一の当審における各未決勾留日数中被告人酒井に対し一、〇〇〇日、同田村に対し九〇〇日をそれぞれ原判決の右被告人両名に対する各本刑に算入する。
≪訴訟費用省略≫
理由
本件各控訴の趣意は、被告人酒井幸雄の弁護人田中政義提出の控訴趣意書、同被告人提出の控訴趣意書、控訴趣意補充書、上申書(昭和四二年三月三日付)、被告人田村隆一の弁護人江村高行提出の控訴趣意書、同被告人提出の控訴趣意書、補充上申書、東京高等検察庁検察官検事松本卓矣提出にかかる東京地方検察庁検察官検事河井信太郎名義の控訴趣意書各記載のとおりであり、検察官の控訴趣意に対する答弁は、被告人島田理之の弁護人鈴木近治提出の答弁書記載のとおりであるから、いずれもこれを引用し、これに対し次のとおり判断する。
田中弁護人の控訴趣意第一点、被告人酒井の控訴趣意、補充控訴趣意、同被告人の前記上申書中の補足控訴趣意(いずれも事実誤認の主張)について。
按ずるに、原判決挙示の各関係証拠を総合すれば、殺意および共謀の点をも含めて、ゆうに原判示第一の四および五の各事実を認めるに足り、所論に基づきさらに記録を精査し、当審における事実取調べの結果を参酌しても、原判決には、所論のごとく証拠の価値判断を誤り事実を誤認した違法も、正当防衛に当る事実を看過した違法も認めることができない。すなわち、
(一) まず、殺意および共謀の点につきみるに、原判決挙示の関係証拠、特に斉藤銀次郎作成の昭和三九年六月九日付鑑定書と題する書面(添付の写真を含む。)によれば、(1)原判示被害者滝本匡孝の蒙った主な創傷が、胸部、頭部および顔面部から頸部にわたる部分に存するものであり、しかも、(イ)胸部には、上胸部の左側上端部に刺創一個、前胸部の左側上端部付近に刺切創一個、左側胸部の上端部に弁状切創一個があって、いずれもやや重傷であり、特に前胸部の刺切創の創洞は内方に向かって深さ一一・五糎に及んでおり、(ロ)頭部には、前頭部のほぼ中央に割創一個があって、創口の開時の左右径は四・三糎、創洞は深さ一・二糎に達し、頭蓋骨を割截して止む重傷のものであり、(ハ)顔面部から頸部にわたる部には、その右側の部に弁状割創一個が存し、創口は長径四二・二糎、創洞は下部がやや内方に向かっていて、第五頸椎の右横突起に達しており、その間右頸静脈が正鋭に切断されて致命傷となっていること、(2)押収してある柳刃庖丁一本(当裁判所昭和四〇年押第九一〇号の二)が、現状においては、全長約四三糎、刃渡り約二八糎、重さ約一七三グラムであって、表面に著しい発錆の形跡を有し、先端から推定約三糎までの部分および刃区から約一四糎の位置に顕著な刀こぼれ(十数個に及ぶその刃片は、滝本の胸腔内、鎖骨の表面およびその内部から摘出された。)を存すること、右庖丁が、本件当時においては、刃物商から新にとぎ上げたばかりのものを購入してきた極めて鋭利なものであったこと、被告人酒井が、右庖丁を左手ににぎり、原判示滝本の乗用車(外車)の前部座席左側部分の運転席から、同右側部分の助手席に座って被告人酒井と対峙している滝本の胸部を狙って力を込めて三回続けざまに突き刺し、右攻撃を強盗の所為と直感した滝本において、助手席の扉をあけて急きょ車外に逃れ出た(右乗用車内に血痕が認められない事実から、このことは明らかである。)後からこれを追って右乗用車の前方路上に至り、さらに同人の頭部および顔面部右側から頸部右側にかけて右庖丁を力一杯打ち降ろして切り付けたことなどの事実が明らかであるから、これらの事実を総合して考察すれば、被告人酒井の右所為が、単なる傷害の意思に出たものではなく、殺意に基づく犯行であることも明らかである。そして、≪証拠省略≫によれば、被告人酒井が、本件犯行の際、相手の血が自己の手に付着することを防ぐため、皮手袋をはめていたこと、これに先だち本件犯行前夜午後一一時ごろ被告人酒井が、被告人島田からの連絡に応じ、原判示第一の三の窃取にかかる自動車(ダットサン・ブルーバード)を運転して原判示銀座のクラブ「越」付近に至り、同クラブから出てきた同被告人と会った際、滝本殺害の報酬金数十万円の一部前渡し名下に約束していた一〇万円を受け取ることができず、被告人島田において、数千円の金員を被告人酒井に手交したうえ、残余の金員は滝本殺害後必ず支払う旨言い残してその場を立ち去ったこと、その直後ごろ被告人酒井が、右窃取にかかる自動車を乗り捨てた際指紋を残さないため使用していた布製白手袋を取り去って前記皮手袋を着用し、そのまま、右クラブ「越」付近から右自動車を運転して滝本を乗せた被告人島田運転の自動車に追尾し、さらに、原判示帝国ホテル駐車場付近からは、同被告人と別れたうえ、同被告人から帰宅中であることを知らされていた滝本の運転する乗用車に追尾して途中これを追い越し、かねて被告人島田と共に下見分をし、滝本の殺害計画の実行に最も適した場所として予定していた(当時被告人酒井が滝本殺害の決意を有していたものとは認められない。)滝本の自宅付近の道幅の狭い本件犯行現場に至って自車を停車させて、これに続く滝本の乗用車をも停車させ、続いて、背広の上着等を取り去った白ワイシャツ一枚の姿で、右皮手袋をはめた手に前記柳刃庖丁を携えて右乗用車に乗り込んでいること(被告人酒井は、原審第一二回公判期日において、布製の白手袋を取り去って皮手袋を着用したのは、白手袋のホックが破れてハンドルに指紋が付着するおそれがあったからである旨弁解するが、ホックが破れただけで指紋がハンドルに付着するいわれはないので、右弁解は措信できない。)が明らかであって、これを、本件当時は東京都内における四月下旬の暖かい季節であり、単に自動車を運転するだけのことであれば、通常皮手袋を使用する必要はなく、また、ハンドル等に指紋を残さないためであれば、布製手袋で十分事足りると認められること、被告人酒井が、本件犯行の際前記のごとく殺意を有していたと認められることなどの事情とも併せ勘案すれば、同被告人において、本件犯行前夜午後一一時ごろ前記銀座のクラブ「越」付近において皮手袋を着用したころ、被告人島田と意思相通じて滝本の殺害を共謀したものであることも明らかである。もっとも、被告人酒井の原審ならびに当審公判廷における供述中には、同被告人が前記柳刃庖丁を携えて滝本の乗用車に乗り込んだ際には、右庖丁に新聞紙が巻き付けられており、車中においてはもとより、その後においてもこれを取り去った覚えはない旨述べた部分があるが、右の供述部分のうち被告人酒井が庖丁に巻き付けられていた新聞紙を取り去った覚えがないとの点については、同被告人の原審公判廷における右の点に関する供述を除くその余の供述その他原判決挙示の関係証拠によれば、被告人酒井が右庖丁を携えて滝本の乗用車の左側前部の扉からこれに乗り込んだこと、本件直後右扉から左方数米の本件現場の路上に鞘状に巻かれた新聞紙が発見されたこと、右新聞紙が、一六頁ものの朝日新聞朝刊紙であって、被告人酒井においてその弟方から持ち出し、被告人島田から前記柳刃庖丁を受け取った際、その柄の一部を除き、これに巻き付けた(刃先に当る部分から上の新聞紙は、巻く途中で下方に折り曲げられて巻き込まれている。)うえ、さらにビニールテープを上に巻いて出ている柄の部分に止めていたものであること、右新聞紙の一頁から八頁までには、薄刃様の刃物を当てて引いたごとき切れ目があるが、その余の九頁から一六頁までにはなんらかかる切れ跡が存しないことおよび右新聞紙に血液が付着したと認められる痕跡がないことなどの事実が明らかであると同時に、他面、被告人酒井が滝本の乗用車に右柳刃庖丁を携えて乗り込んだ後、同人から足げにされ、その際滝本の足が右庖丁に当って、同被告人の左膝関節内側に切創を生じ、そのズボンも切損するに至ったこと、被告人酒井が右乗用車内において右庖丁をもって滝本の胸部を突き刺し、同人に対し前示のごとく胸部三箇所の刺切創を負わしめ、同部位に当る同人の背広の上着三箇所にも切損を生ぜしめていること、滝本の頭部および顔面部に、被告人酒井が右庖丁をもって切り付けて生じた前示の創傷が存し、滝本の乗用車の前方路上等に多量の血液が流出飛散していることなどの事実も明らかであって、これらの事実を併せ勘案すれば、被告人酒井が、右乗用車の左側前部の扉付近に至って、まず携えた柳刃庖丁に巻かれていた前記鞘状の新聞紙を取り去ったうえ、右庖丁を裸のまま乗用車内に持ち込んだものと認めるのが相当であり、同被告人のこの点に関する原審ならびに当審公判廷における供述は、これにより自己の殺意を否定せんとする虚偽の供述であることが明白であるから、その余の同被告人の原判示に符合しない原審ならびに当審公判廷における供述と共に到底措信することができず、他に原判決の認定を左右するに足りる証左は存しないので、殺意および共謀の点に関する所論は、すべて採用することができない。
(二) 次に、所論正当防衛の主張につきみるに、原判決挙示の関係証拠、特に被告人酒井の原審公判廷における供述によれば、被告人酒井が、本件当日午前零時過の人通りのない本件現場において、前示のごとく滝本の乗用車を停車させたうえ、その前部座席左側部の運転席の扉に接近し、同人に対し、「社長、助手席へ行け。」と促し、手に皮手袋をはめ、白ワイシャツ姿のまま、前記裸の柳刃庖丁を左手に携えて運転席に乗り込み、座った自己の股間に右庖丁を差し入れてその柄をにぎり、助手席の滝本と相対したことおよびその間車内灯が点灯されて車内が照明されていたことが明らかであるから、滝本が、被告人酒井の右言動に極度の警戒をしながら、これをつぶさに目撃したものと認めるのが相当である。そして、かかる情況のもとで、被告人酒井が、滝本に対し、「社長、情報を買わないか。」「実は、ある人から社長を殺してくれと頼まれている。」と申し向け、滝本が、同被告人において現金だけでなく乗用車をも強取しようとして脅迫しているものと直観したことも、原判決挙示の関係証拠、特に≪証拠省略≫により明らかであるから、これらの事実の全体を前後を通じて客観的に考察すれば、被告人酒井の態度、言動は、それ自体滝本の生命に対する強度の脅迫行為であり、滝本に対する急迫不正の侵害というべきであって、証拠上明らかなごとく、同被告人の右言動に続いて、とっさの間に滝本が、被告人酒井を殴打し、足げにするなどしたことも、同被告人の右急迫不正の侵害を防衛するためやむことを得ざるにでた正当防衛行為として、その違法性を阻却されるものというべきであるので、これに続く被告人酒井の前記柳刃庖丁をもってする滝本に対する前示攻撃を正当防衛をもって論ずる余地はなく、所論は、事態の全体的推移を看過し、その一面のみを強調する独自の見解というのほかなく、採用の限りでない。
なお、所論は原判示第一の三の窃盗の事実につき、原判決が、被告人酒井に当時滝本殺害の意図および領得の意思の存したものと認定したのは、事実を誤認したものである、というのであるが、右殺意の点については、原判決が所論のごとき認定をしていないことは、原判文上明らかであるから、所論は前提を欠くものというべく、また、領得の意思の点については、原判決挙示の各関係証拠を総合すれば、領得の意思の点をも含めて、ゆうに原判示第一の三の事実を認めるに足り、さらに記録を精査し、当審における事実取調べの結果を参酌しても、原判決には、事実誤認の違法は認められないから、以上いずれの点よりするも、所論は採用できない。論旨は理由がない。
田中弁護人の控訴趣意第二点(法令適用の誤りの主張)について。
按ずるに、原判決が、原判示第一の五の事実を認定したうえ被告人酒井の所為を殺人罪に問擬したことは所論のとおりであるが、(一)所論傷害罪の主張については、原判決は、被告人酒井の右所為が殺意にでた事実を認定しており、この認定に誤りのないことは前段説示のとおりであるから、所論は前提を欠き、また、(二)所論過剰防衛または過剰避難の主張については、すでに説示したごとく、原判示第一の五の滝本の被告人に対する暴行は、正当防衛としてその違法性を欠くものというべきであるから、この点においても所論は前提を欠くものというべく、さらに、(三)所論心神耗弱の主張については、被告人酒井が原判示第一の五の所為当時心神耗弱の状態にあった事実は、原判決の説示するごとく、原判決の認めないところであり、記録を精査し、当審における事実取調べの結果を参酌しても、原判決の判断に誤りがあるものとは認め難いので、原判決が刑法第三九条第二項を適用しなかったのは正当であって、以上(一)ないし(三)いずれの点においても原判決には、所論のごとく法令の適用を誤った違法は認められない。論旨は理由がない。
田中弁護人の控訴趣意第三点(訴訟手続の法令違反の主張)について。
所論は、原判決は、被告人酒井の検察官に対する昭和三九年六月一五日付、同月一六日付および同月一九日付各供述調書を採って同被告人の原判示第一の所為を認定したが、右各供述調書記載の供述は任意性を欠き、証拠能力を認むべからざるものであって、これを採証した原判決には、刑事訴訟法第三一九条に違反した訴訟手続の法令違反がある、と主張する。
しかし、所論の各供述調書の形式内容をしさいに精査検討し、これを被告人酒井の原審公判廷における供述とも併せ勘案すれば、右各供述調書記載の供述の任意性を認めるに十分であって、その任意性を疑わしめるべき事由を発見することができないので、原判決には、所論のごとき違法は認められず、所論は採用できない。論旨は理由がない。
江村弁護人の控訴趣意第一点、被告人田村の控訴趣意の一部(事実誤認の主張)について。
所論は、原判決は、原判示第一の六において、被告人田村が、被告人島田および同酒井に原判示柳刃庖丁を交付した際、被告人島田および同酒井において滝本匡孝を殺害するために使用することの確定的認識を有したものと認定したが、被告人田村は、せいぜい未必的にかかる認識を有していたに過ぎず、この点において原判決には、事実を誤認した違法がある、と主張する。
しかし、原判決挙示の各関係証拠を総合すれば、被告人島田および酒井の共謀による滝本殺害の実行行為についての確定的認識の点をも含めて、原判示第一の六の事実を認めるに足り、所論に基づきさらに記録を精査検討しても、原判決には、所論のごとき事実誤認の違法は認められない。論旨は理由がない。
検察官の控訴趣意第一点(事実誤認の主張)について。
所論は、原判決は、被告人島田が原判示窃盗、殺人および詐欺の各犯行当時完熟した妄想型精神分裂病に基づく心神喪失の状態にあったものと認定して、同被告人に対し無罪の言渡しをしたが、被告人島田が当時かかる精神分裂病にかかっていた事実はなく、この点において原判決には、事実を誤認した違法がある、と主張する。
よって按ずるに、記録を検討し、特に(1)原審鑑定人松本胖作成の島田理之の精神鑑定書および(2)同竹山恒寿作成の精神鑑定書各記載の鑑定結果に、(3)原審証人竹山恒寿の原審公判廷における供述、(4)原審公判調書中原審証人皆川久枝の供述記載、(5)被告人島田の原審弁護人鈴木近治あて封書等をも併せ考えれば、原判決説示のごとく、被告人島田が原判示各犯行当時妄想型精神分裂病に罹患していた事実を認めるに足りるもののごとくであるが、さらに右各証拠を当審における事実取調べの結果と対比してしさいに審究するときは、右(1)および(2)の各鑑定の基礎となった資料が、被告人島田において妄想型精神分裂病者に特有の一般的な徴候を訴えまたは挙動に示した状態のみを観察したものであるにとどまり、同被告人に妄想型精神分裂病者には一般に存し得ない動作挙措の存するや否やの点についても詳細観察し、その所見をも総合したものではなく、同被告人の精神状態を鑑定し、本件各犯行当時のその精神状態についての合理的に確実な意見を形成するための資料としては、不十分であることが明らかである。すなわち、被告人島田については、(イ)同被告人が警視庁監房内に勾留中、昭和三九年六月六日から同月一一日までの間同房の精神分裂病者の被疑者一名と起居を共にしながら、その言動をつぶさに観察していること、(ロ)同被告人が、東京拘置所に移監となった後、同年七月二一日前妻皆川久枝が面会に来た際、「精神鑑定の本を入れてくれ。」と依頼し、同年八月一一日同女から「精神病の鑑別診断」と題する書籍の差入れを受けたほか、同月一四日から九月四日までの間三回にわたり、「精神分析入門」、「読心術」および「精神分析入門」と各題する書籍を購入したうえ、これらを閲読していることなどの特殊事情の存することが、当審における事実取調べの結果に徴し明らかであるから、被告人島田の精神鑑定を行なうに当って、これらの事情をも考慮して鑑定の資料を取得する方法、範囲等を決めることを要するものというべきにかかわらず、その後、原審鑑定人松本胖が、昭和四〇年三月八日から同月二二日まで千葉大学医学部附属病院において、次いで、原審鑑定人竹山恒寿が、同年五月二九日から六月一四日まで湘南病院においてそれぞれ精神鑑定の資料を取得するため、同被告人の言動を観察した際、右(イ)および(ロ)の特殊事情をも十分了知したうえ、被告人島田の示した精神分裂病者特有の症状ばかりでなく、かかる症状の精神分裂病者には通常あり得ない動作挙措の存するや否やの点についても観察が行なわれた形跡は記録上これを認めることができないので、前記松本および竹山両鑑定人の被告人島田に対する精神鑑定の結果は、同被告人の本件各犯行時における精神状態に関する証拠としては、信頼度の甚だ低いものといわねばならず、この点に関する当審証人松本胖および同竹山恒寿の各供述によるも右認定を左右するに足りない。そして、当審証人萩原信義、同江副勉、同吉岡真二の各供述に照らしその信頼性の認められる当審鑑定人三浦岱栄作成の昭和四一年一二月二〇日付被告人島田理之の精神鑑定書記載の鑑定結果によれば、被告人島田が、本件各犯行当時精神分裂病に罹患していたものではなく、右鑑定のための取調べが行なわれた同年七月三〇日から同年一二月二〇日までの間においても、顕示性、欺瞞性精神病質者に見られる詐病状態にあった事実が認められるので、原判決の採用した前記(1)および(2)の各鑑定結果は、これを前記(3)ないし(5)の各証拠と併せ考えても、いずれもその証明力を欠くものというのほかなく、他に同被告人が本件各犯行当時心神喪失の状態にあったことを疑うに足りる証拠は存しないので、この点において原判決には、証拠の取捨選択を誤り事実を誤認した違法があるものというべく、この誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、論旨は理由があり、原判決中被告人島田に関する部分は到底破棄を免れない。
田中弁護人の控訴趣意第四点、検察官の控訴趣意第二点、江村弁護人の控訴趣意第二点、被告人田村の控訴趣意の一部および同補充上申(いずれも量刑不当の主張)について。
田中弁護人の所論は、原判決の被告人酒井を無期懲役に処した量刑は重きに過ぎて不当であり、同被告人に対しては有期懲役刑を科すべきである、と主張し、検察官の所論は、原判決の被告人酒井に対する右量刑は軽きに失して不当であり、同被告人に対しては死刑をもって臨むべきである、と主張し、また、江村弁護人および被告人田村の所論は、原判決の被告人田村に対する量刑は重きに過ぎて不当であり、同被告人に対しては軽い刑を量定したうえ、その執行を猶予すべきである、と主張する。
よって、本件記録を精査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して考察するに、本件において被告人酒井は、被告人島田から滝本匡孝殺害の計画を打ち明けてその実行方を依頼されたのを奇貨として、表面上はこれを引き受けるがごとくに装いながら、数回にわたり同被告人から多額の金員を巻き上げ、これを遊興費等に使い果して金銭に窮したあげく、正業に励むことに思いをいたすことなく、滝本殺害の報酬を獲得するため被告人島田と意思を通じて共謀のうえ、原判示柳刃庖丁をもって滝本を殺害し、その春秋に富む貴重な一命を無残に奪い去ったほか、原判示のごとく、これに先だって自動車窃盗の罪をも犯したものであり、被告人田村は、被告人島田が、同酒井と相はかって、滝本殺害の用に供するものであるとの情を知りながら、右柳刃庖丁を購入して被告人島田らに交付し、もって被告人島田と同酒井の共謀に基づく滝本殺害の犯行を容易ならしめてこれを幇助したものであって、右各犯行の動機、原因、態様、罪質、計画性、方法の残忍性、結果の重大性、被害者の遺族ならびに地域社会に与えた影響等にかんがみるときは、いずれも犯情甚だ悪質であって、被告人酒井および同田村の刑事責任は重いものというべく、さらに被告人酒井については、物欲のため人命を犠牲にして省みることなく、犯行後被告人島田に督促して多額の報酬金を取得していること、殺害の仕方に窺われる残忍性等記録に現われた諸般の情状をも併せ勘案すれば、被告人酒井を死刑に処すべきものとする検察官の所論も首肯するに難くないところであるが、なお、同被告人が被告人島田から滝本の殺害方を依頼されてこれを決意するまでの間に原判示のごとき経緯が見られ、被告人酒井の性格の先天的な欠陥が、右の決意を促す要因をなしたものと認められること、被告人酒井が、すでに滝本の殺害を決意するに至った後においても、本件柳刃庖丁を同人に対してふるう直前まで犯行をためらい、滝本から金を出させることができればこれを回避しようと考え、同人に対し、被告人島田の同人殺害の計画を情報として売り付けようとしたこと、これに対し、滝本が殴打、足げなどの暴行を加えて反撃にでたことから、被告人酒井においてとっさに本件犯行を行なうに至ったものであることなど、諸般の犯情をも参酌するにおいては、同被告人に対し死刑をもって臨むことは、量刑いささか酷に過ぎるものというのほかなく、他面、被告人酒井の年令、経歴、道路交通法その他の取締法規違反、業務上過失傷害の罪による罰金刑の前科以外に前科のないこと、その他原判決の認定に反する部分を除く田中弁護人所論の被告人に有利な事情一切を考量しても、同被告人を有期懲役刑に処すべき情状があるものとは認められず、原判決が被告人酒井を無期懲役に処した量刑の措置は相当であって、軽きに失しまたは重きに過ぎて不当であるとは認められず、また、被告人田村についても、同被告人の年令、経歴、前科のないこと、被告人島田には一身上の恩義があるうえ、同被告人から言葉巧みに滝本に対する反感をかき立てられたことから、同被告人の依頼に応じたものであること、その他原判決の認定に反する部分を除く江村弁護人および被告人田村所論の同被告人に有利な事情一切を考量しても、原判決の同被告人に対する刑より軽い刑を量定したうえ、その執行を猶予すべき情状があるものとは認められず、原判決の量刑は相当であって、重きに過ぎて不当であるとはいうことができない。各論旨はいずれも理由がない。
よって、被告人島田に関する本件控訴は理由があるから、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八二条、第四〇〇条但書により原判決中同被告人に関する部分はこれを破棄し、当裁判所において、さらに次のとおり判決する。
被告人島田に関する原判決認定事実(ただし、原判示第一の一および第二の事実中、被告人島田が妄想型精神分裂病に罹患していたとの点に関する事実、第一の二の事実中、同被告人の殺意が妄想型精神分裂病に由来する原判示被害的妄想と幻覚の体験に基づいたものであるとの点に関する事実および同被告人が被告人酒井の要求に応じてこれに金員を交付していたのは、右分裂病からくる判断の悪さによるところもあるとの点に関する事実を除く。)に法律を適用すると、原判示窃盗の点は刑法第二三五条、第六〇条に、殺人の点は同法第一九九条、第六〇条に、詐欺の点は同法第二四六条第一項、第六〇条にそれぞれ該当するが、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから、被告人島田の本件殺人の動機、原因、態様、罪質、計画性、方法の残忍性、結果の重大性、被害者の遺族ならびに地域社会に与えた影響等にかんがみ、犯情甚だ悪質であって、同被告人の刑事責任の極めて重いこと、犯行後の情況、殊に同被告人が詐病により自己の刑事責任を免れようとして種種画策しており、改悛の情の全く認め難いこと、他面、被告人島田が被害者滝本の殺害を企図するについては、同人の側においても株式会社三芸の社長として総務課長であった同被告人と会社経営上対立し、裏金を蓄えてその処理に疑惑をいだかせるがごとき態度があったことなどの事情の存したこと、その他被告人の年令、経歴、道路交通法違反の罪による罰金刑のほか前科のないこと等記録に現われた諸般の情状をも併せ考え、右殺人の罪の所定刑中無期懲役刑を選択し、同法第四六条第二項に則り右窃盗および詐欺の各罪の刑はこれを科さず、被告人島田を無期懲役に処し、被告人島田に関する控訴を除くその余の検察官ならびに被告人酒井および同田村の各控訴はいずれも理由がないから、同法第三九六条によりこれを棄却し、刑法第二一条に従い被告人酒井および同田村の当審における各未決勾留日数中被告人酒井に対し一、〇〇〇日、同田村に対し九〇〇日をそれぞれ原判決の右被告人両名に対する各本刑に算入し、同法第一八一条第一項本文に従い被告人島田をして主文第五項掲記のとおり訴訟費用を負担させることとし、主文のとおり判決する。
(裁判長判事 石井文治 判事 山田鷹之助 山崎茂)